14:46。
会社の自分の机で、普通に作業してたのですが、
ふと「あれ?」と思うかすかな揺れが。
それが5秒、10秒たつうちに、部屋全員が気づく揺れになり、
そこから2分近く、止まらない長い長い揺れ。
別館みたいなとこ、6階建の6階にいるのですが、
そんなに高くないはずなのに、かなり長い揺れ。
自分がかつて16年前に神戸で経験した地震とは違う、
横に引っ張られるような揺れでした。
おさまったところで、部署全員でTVを見る。
宮城沖、震度が最大7。
宮城、そして岩手に大きい揺れと聞いて、
実家の状況が不安になる。
と同時に、これほどの揺れということは
津波もハンパないだろう、
三陸はもともとリアス式海岸で、
湾を抜けた津波は何倍もの威力になると小学校の時に習っていて、
とてもとても不安に。
と思っていたら、仙台空港付近が津波で飲み込まれる映像が。
声にならず。
まっすぐな海岸線のこのあたりでこうなるということは
福島から岩手にかけて、同様になるであろうと思うも、
他地域の情報が集まらず。
そこから3時間ほど、まったく仕事が手につかず、
でも電車も地下鉄も動く気配がないので、歩いて帰る決断を。
東京マラソンの練習と称して
1月下旬に会社から渋谷まで8.5km走った経験があるので、
どの道を通るべきか考えることなく、最短距離を歩行。
家までの12kmを2時間15分で帰宅。
途中、幹線道路はひどいクルマの渋滞でした。
246なんかは、歩道にものすごい人がいたし。
家は8階にあり、グラスが数個割れ、
冷蔵庫や電子ピアノが10cmほど動いてました。
もともとサッカー関連の雑誌書籍、紙モノが多い家なので、
その山が一気に崩れ、部屋は散乱。
別の部屋は、積んでいた段ボールが一気に崩れてこんな状況。
どれも、びっちりと書籍が入った箱で、
たぶん数十kgあるので、直すのにひと苦労。
そんな段ボールの下敷きになってたこの2人は、なんとか救出。
とはいえ、余震がずっと続き、
不安な一夜を過ごしました。
地元岩手は、沿岸地域が大変なことになっていて、
何万人もの人がいなくなってしまった模様。
どうなってしまうのだろう…。
実家とはその日のうちに、兄経由で連絡とれたのでひと安心ですが、
これからどうなるのか…。
自然の脅威、なんて言葉ではすまされない、ものすごい事態。
16年前もそうだったけど、
今すべきは、今自分にできることをやり続けるしかない、と思ってます。
あの時は、しっかり受験をすること、それが一番大事でした。
今はたぶん、しっかり自分の仕事を全うすること、なのかなと。
目をそらさず、前を向いていきます。